作・本間範子

ーねえぇ・・・あれはなぁに?お天空<そら>を飛んでいるあれは?
 天空<そら>高くを滑っている影をみつけて、ふさふさした尾を振りつつ可愛らしい幼子が尋ねる。
 ふわふわしたたてがみを撫でてやりながら、父が答える。
ーあれは、飛人<フライヤー>だよ。高地の王国<くに>に住んでいるんだ。
 幼子が天空<そら>を見上げて両手を掲げ上げる。
ー降りておいでぇ!
 父は慌ててその腕を降ろさせた。
ーおやめ! あれを呼んではならないよ!
ーなあぜ? 僕、高地の王国<くに>のこと、聞きたいよ!
 父は、その硬い毛に覆われた太い腕で抱き上げ、長い舌を出して、幼子の突き出ている鼻先を嘗めた。
ーそれはね、走人<ランナー>と飛人<フライヤー>はお互いに関わることのないように住み分けの掟があるんだ。走人<ランナー>は地上<ここ>に飛人<フライヤー>は高地に・・・
 幼子が泣き出す。
ーわからないよ、僕、掟なんて・・・
 掟の重みを知るには、まだ幼すぎたのだ・・・
 帰ると、母たる妻は、泣き寝入った幼子を抱き、頬を嘗めた。
ーでも、いずれ知ることですから・・・


 走人<ランナー>の幼子は、程なく足腰のしっかりとした少年に成長した。
ースウェン、この薬草を医師<せんせい>に届けておくれ。
 少年スウェンは薬師<くすし>の父から托される。
ー途中くれぐれも気をつけてね・・・
 母は手を振って見送る。
 一家の住まいは村から外れた樹海の中にあった。樹海の中には恐ろしいものは何もなく、道さえ迷わなければ村までは造作もなかった。
 軽やかに駆け抜けていく。樹海の木々の間を二つの月が上がっていく。その月の間に風が吹いた。樹枝がさざめくような音がして、風が振ってきた。風は、樹の上に引っかかった。
 スウェンたち走人<ランナー>は余り目は良くないが、鼻が効く。変わった臭いがしてきた。
 樹に上がった。枝の間に白い腕が見えた。その腕を握って降りた。
 それを見たとき、言い知れぬ震えが沸き上がってきた。
 小さな頭、小さく尖った硬い口、毛ではない白い何かふわふわしたもので覆われた体、背中から生えているものは・・・木の枝にふわふわしたものが垂れ下がっている・・・これはなんだろう?
 耳は見当たらなかった。幼い頃、父と見た飛人<フライヤー>に違いない。
 飛人<フライヤー>が微かに動いた。
 生きている! スウェンはうろたえた。やがて、飛人<フライヤー>が気が付いた。
ーあっ!
 目を開けた飛人<フライヤー>もうろたえた。だが、急に飛人<フライヤー>が丸い目を潰った。
 背中から生えているものの一方が切れていた。他にも落ちた時の擦り傷がいくつもあった。
ー怪我をして、落ちたの?
 スウェンは、優しく尋ねた。飛人<フライヤー>が安心したように頷いた。
ーそう・・・飛んでいたら、《旋風<つむじかぜ>の刃》に触れてしまって・・・
 天空のように高く澄んだ声。美しい・・・スウェンは、届ける薬草の中から少し取って、掌で握り潰して、傷口に擦り付けた。飛人<フライヤー>が痛みを堪えていた。軽い擦り傷は長い舌を出して嘗めた。飛人<フライヤー>が驚いて身を硬くした。だが、抗わなかった。
ーこれで・・・明日には治っているから・・・
 聞きたいことが山ほどあっても、掟を破ることは出来なかった。
 スウェンは走り出した。


 翌日村に到着し、医師に薬草を渡し、その代価に布を受け取った。医師は村長<おさ>も兼ねていた。医師の鼻先が動いた。
ー途中、変わったことはなかったか?
 スウェンは、首を振った。医師が厳しい目をした。
ー『らせんの祭』が近い、忘れずにな
 スウェンは逃れるようにして村を去った。


 帰路。樹海に入った時、スウェンの足が止った。嗅ぎ取れる・・・草を掻き分けていた。
 そして・・・あの樹木の幹に・・・
ー・・・飛人<フライヤー>・・・
 ぐったりとして幹に寄りかかっている。死んでしまったのかと近づいた。急に飛人<フライヤー>の目が開いた。
ーきっと、また・・・来てくれるって・・・思ったよ・・・
 優しい目、美しい声。スウェンは、心を揺さぶられた。


 飛人<フライヤー>はルーサと名乗った。落ちた時に、翼ー背中から生えているものーが折れてしまい、飛べなかったのだ。
 折れた翼を添え木で固定してやり、水を与え、山葡萄を採ってやった。
 スウェンはルーサに頼んだ。
ー君の王国<くに>のこと、聞かせてくれないかい?
 ルーサは、驚きながらも、歌出だした。
ー造物主<ぬし>まします天空<そら>に近きわれらの王国<くに>、
 緑深き森、青く澄みし湖、豊かな草原。
 樹上の住処には、厳しくも優しき父、慈しみの心深き母、愛しまれし幼子たち、
 至福のさえずりに満ちる。
 広々たる草原には、強き翼の若者と美しき羽の乙女、
 恋のささやきに溢れる、
 われら飛人は太古の昔より、悠々たる時の流れを飛ぶ・・・
 ・・・僕も、君たちの王国のこと、聞きたかった。幼子のときからの夢だった・・・
二人は同じ夢を持ち、互いに叶え合った。


 翌日スウェンは薬草摘みと称して、家を出、ルーサを訪れた。互いに語り合い、時を過ごした。
ー何故・・・掟があるのかな・・・語り合えば、こうしてわかりあえるのに・・
ーそうだね・・・でも、きっと何か深い理由があるんだよ、掟の理由は、代々王家の者だけが語り伝えているそうだよ
 どんな理由があってもスウェンはルーサとの仲を大切にしたかった。ルーサの翼は治りが悪く、すぐには飛べなかったが・・・
ー治ったら・・・帰ってしまうんだね・・・
 スウェンは悲しさと淋しさに項垂れた。ルーサも同じだった。
ー何ということだ!! 掟を破るとは!!
 突然の声が二人を引き裂いた。医師が村人たちとともに現れた。
ー逃げて!
 ルーサは懸命に逃げていった。


 スウェンは捕えられ、村の塔に閉じ込められた。掟破りの重罪により、『らせんの祭』の後に張り付けられるのだ。父母は涙ながらに命乞いをしたが、許されなかった。
 年の四度、二連の月が重なる月蝕のとき・・『らせんの祭』が始まった。
 村人全員が集い、広場でらせんを描きながら一晩踊り明かすのだ。この祭は、王国<くに>中で執り行われる。必ず加わらねばならない大切な祭なのだ。
 唯一人スウェンのみが外れて塔の上から、見ていた。父母の嘆きを思うと胸が痛むが、後悔はしたくなかった。
 二つの月が重なろうとする真夜中ー月の光の中を風影<かぜ>がやってきた。 ースウェン!
 ルーサの声。スウェンは胸を詰まらせた。ルーサの差し出す手を掴んで、石枠だけの窓から抜け出した。ルーサは翼を動かして、何とか飛ぼうとした。だが、だんだん落ちていく。
ールーサ!手を、離して!
 けれども、ルーサは離さない。必死にはばたく。
 ついに、スウェンの足が地面に着いた。ルーサは力尽きた。スウェンはルーサを抱きかかえ、祭の喧騒から遠ざかった。
ー何故、あのまま、逃げなかったの?
煌々たる月光の中で、スウェンが尋ねた。ルーサが囁いた。
ー掟破りは死。どうしても、ほおっておけなかったんだ・・・
 スウェンは茶の毛の腕でルーサを白い翼ごと抱き締める。
ーどこか、誰もいないところへ・・・いこうよ・・・ずうっと一緒にいたい・・・
ースウェン、僕たちは一緒にはいられない・・・僕たちは住み分けなければならないんだ。
 その時、二つの月が重なった。スウェンが総毛立った。体中が激しい衝動に震えていく。ルーサが目を細めた。スウェンの顎が大きく開かれた。ルーサの首筋に近づけようとして、寸前に突き飛ばした。
ールーサ、逃げて! でないと、僕!
ー翼がまた折れたんだ、動けないよ・・・
 スウェンはなんとか抑え込もうとするが、それには抗えなかった。
ーだめだ、体が勝手に!
 深々と刺さった牙、赤く染まった白い羽、ルーサが絶え絶えにつぶやく。
ー二つの月が重なったとき、君たちは、らせんに刻まれた太古の記憶を蘇らせて、僕たちを襲ってしまうんだ・・・住み分けていたのはそのためなんだ・・・
 スウェンは涙を流した。
ー君は知っていたのに、僕を助けてくれたんだね・・・それなのに、僕はこんなひどい仕打ちを・・
ースウェン、悲しまないで・・・僕は、君の血肉となるのだから、ずっと・・・一緒にいられる・・・よ・・・
 ルーサは動かなくなった。


 翌日、村人たちが、スウェンが逃げたと知り、探した。程近くで血のにじんだ白い羽が無数に散らばっていたが、スウェンの姿を見つけることはできなかった。
 『らせんの祭』は月蝕の間、踊り狂うことで、蘇ってくるらせんの記憶を打ち消そうとする儀式だった。
 これは、太古の昔、自らを造物主と奢って、るつぼでらせんを融合操作した人々によって造られた獣人<キメラ>の物語であるー (完)


 初出掲載:『ばちかぶるぞっ!』vol.1 1995年12月
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