| ※時代設定が10年くらい過去のものです。 
                         第1回 
                           バスケットボールが、伸び上げた両手から離れた。絶好の距離と高さ、ゴールイン確実だ。フリースローレーンの内側で、亮介はガッツポーズを構える。 
                            
                           だが、ボールはリングに当たって跳ね返った。しかも、そのボールをディフェンス側に取られてしまった。  
                          「何やってんだ、沢口!! 早く追え!」  
                           コート脇で監督が怒鳴る。慌てて向きを変えるが、すでに速攻を決められていた。  
                           監督に呼ばれる。  
                          「練習で、何格好つけてんだ!すぐにスクリーンアウト取れよ!」  
                           同じ一年生部員の野口と交代させられてしまった。  
                          「何だよ!これくらいで!」  
                           亮介は、コート脇で座り込んで荒くなった息を吐き出した。  
                           県立葛木高校男子バスケット部は、今年久々にインターハイ地区予選で四回戦まで勝ち抜き、県大会出場へのリーグ戦寸前までいった。それは、一年生部員ながらレギュラーとして参戦した193センチのC(センター)能勢の活躍に因るものだった。28才の若い監督脇坂は、校長を始め、PTAからも督促され、チーム強化に燃えていた。今日は、インターハイ予選後三年部員が引退し、一、二年生で新体制を作るための練習試合だった。全員にレギュラー入りのチャンスがあるというので、皆、眼の色を変えていた。 
                           
                           二年のG(ガード)品田がドリブルで運んできたボールを、華奢な体つきの部員が前から擦れ違い様にスチールした。息が止まるほど鮮やかだ。周囲がどっと沸く。監督も頬を紅潮させて拳を振り上げた。 
                           
                          「よし!いいぞ、奥住!」  
                           亮介と同じ一年生部員の奥住だ。背は170切っているし、やせていて、一見気が弱そうな女顔だったが、バスケはめちゃくちゃうまかった。成績の方も学年トップクラスで、人当たりがよく真面目なので、監督を始め先輩や同期の連中の受けがよかった。ただ、二年の品田は、同じPG(ポイントガード)のポジションを争っているために事あるごとにきつく当たっていた。 
                           
                           試合は能勢がCで品田がPGの白の勝ちで終了した。一度交代させられた亮介に二度目はなかった。  
                         
                           父親が平の郵便局員のため、2LDKの古ぼけた公務員団地が亮介の家だった。エレベーターのない5Fまで階段で上がり、自分で鍵を回して忍び足で入った。扉をバタンとでも閉じれば受験を控えた兄勤と母親に怒鳴られてしまう。そのまま台所にいって、味噌汁を温めていると、狭いリビングにいた母親がやってきた。 
                           
                          「さっき、芝崎君から電話あって、電話くれって」  
                           もともと小太りだった母親は、最近とみに横への拡張が増していた。たぷたぷの二重顎がどうにもみにくい。  
                           温まった味噌汁をドンブリ飯にかけてから、子機を取りにいく。リビングに戻ってTVの前にどっかりと座った母親が嫌味たっぷりに言った。 
                           
                          「長電話するんじゃないよ。どうせロクでもないことしか話さないんだから」  
                           母親のいまいましげな視線を遮るように台所とリビングを仕切るカーテンを引く。折り畳み椅子を開いて、流し台の上をテーブルにした。三角コーナーの生ごみの中にエビの尾っぽがたくさん捨ててあった。夕飯は兄の好物のエビフライだったのだろう。タッパーに入ったひじきと五目豆の煮物をおかずにして、今では猫でも食わないぶっかけ飯を食い始めた。終ってから、芝崎の電話番号をプッシュした。 
                           
                          『おまえさぁ、ポケベルくらいもてよ!連絡つけにくいったらねぇぜ』  
                           いきなり文句が耳を叩いた。欲しいのは山々だったが、部活のユニフォーム代やバッシュ代はおろか昼食代も自由にならないのだ。そんな余裕あるわけがない。 
                           
                          「ああ、そのうちな」  
                          ウーロン茶を飲んだ。  
                          『ところでさぁ、こないだの話だけど、理沙のダチで、はづきってのが、いいって言ってんだ。今度の土曜、紹介すっからな、一応Wデートって感じでさ』 
                           
                           傾けていたペットボトルを戻した。  
                          「・・・土曜か・・・部活あんだよな」  
                           受話器の向こうでせせら笑っている。  
                          『一日くらい、どうってことねぇだろ?それよか、はづきって、うまくもっていけば、最初のデートでキスまでいけるぜ』 
                           
                           そんな都合のいい女いるのかと半信半疑になる。  
                          「・・・ほんとか?」  
                           芝崎が大人ぶってニヤついている顔が浮かんでくる。  
                          『ああ、ホント、ホント。俺なんか、理沙と二回目でHしたんだぜ。あいつら、中坊のときから、ススんでんだから』 
                           
                           一週間前だった。本屋で写真週刊誌を覗いていたら、ふいに肩を叩かれた。中学の時の同級生だった芝崎だった。自慢気にもう童貞を捨てたと聞かされてうらやましがると、やらせてくれそうな女を紹介するからと向こうから言って来たのだ。実のところ、それほど切実に童貞を捨てたいわけでもなかったが、同い年の他の連中より先に経験できるものなら先輩面してやれると思ったのだ。 
                           
                           亮介は、スラッとスタイルがよく、顔もアイドル系の可愛いマスクというやつでかなりいいし、肌もニキビやアバタもなくて、きれいだった。だが、幼い頃から、成績優秀な兄と比較され、差別され続けてきたコンプレックスから、ヒガミ根性が抜けず、ひねくれてイジケたやつだと見られていた。格好のよさだけで付き合い始めた女子も、その性格に嫌気がさして、すぐに離れていってしまうのだ。バスケの方も、中学ではけっこう出来た方だったが、高校では平凡なプレーヤーでしかなかった。 
                           
                           何か優越感に浸れるものが欲しかったのだ。  
                           土曜の午後、待ち合わせることに決めた。制服の尻ポケットから財布を出す。中味が淋しい。夏目が三枚しかない。セオリー通りにアクアケードの『シーター』に行くのなら、自分のチケット代なもならない。 
                           
                           今月はユニフォームのTシャツ代で余計に小遣いをもらっていた。それでなくても、高校に入ってから、どうせうまくもないのだから、部活をやめてバイトしろと言われていた。これ以上はねだれない。 
                           
                          「な、映画に・・・しねぇか?今、いいのやってんじゃん、サイバーパンクの・・・」  
                          『映画ぁ?あいつら、いくかなぁ、そんなの。まあ、言ってみるわ』  
                           子機を置いた。カーテンがシャッと開いて、母親が入って来た。  
                           「食べたら、さっさと風呂、入っちゃいな」  
                           ここ二、三年ろくに返事したこともない。黙ってリビングの角にあるプラスチックの衣装ケースから替えの下着とパジャマ代わりのスエットスーツを出して風呂場にいく。 
                           
                           狭い浴槽に膝を折って座り込む。額に掛かるすっきりとしたストレートの髪を引っぱった。  
                          「髪、なんとかしてぇな・・・」  
                           美容院に行きたかったが、今だに近所の床屋で坊ちゃん刈りだ。湯から立つ湯気をぼっと眺めた。  
                          「・・・キス・・・までいけるか・・・」  
                           目をつぶった。イメージトレーニングだ。女の顔は誰でもいい。女優とかタレントとか。肩を抱いて唇を重ねてみる。どうもイマイチピンとこない。兄の高校受験以来部屋を追い出されて、リビングの隅で寝ていた。個室がないので、ダチの家ででもなければ、ヘアヌードだのAVだの見ることもできないし、ズリセンこくのも自由にならなかった。トレーニング不足だった。 
                           
                           ようやく生え揃ってきた恥毛の中で大人しくしてるモノを握った。乱暴にしごく。やっぱり、耳の奥に蘇ってきた。 
                           
                          ・・・ね、ぼく?ちょっと、握ってくれる?  
                           本当は忘れたい嫌な記憶のはずだ。だが、オナニーすると、どうしても思い出されてしまうのだ。しかも、とんでもないことに一番効くズリネタだった。たちまち堅くなっていく。 
                           
                          ・・・あとで、お金あげるから、ね・・・?  
                           小学二年のときだ。中年の男の人に、神社の奥の森に連れていかれた。半ズボンを降ろされてチンポをいじくられた後、両手で硬くて熱い棒を握らされた。先端を口を押し付けられて、生臭くて粘ったトロロのような液を掛けられた。なんだかわけがわからず、ただ呆然としてしまい、泣くこともしなかった。 
                           
                          ・・・ごめんね、大人の人には、内緒だよ・・・  
                           顔の汚れを拭きながら、その人は、千円札を二枚呉れた。  
                          「あのオジサン・・・ヘンタイだったんだよな・・」  
                           立派な犯罪だ。だが、優しくて少しもこわいと思わなかった。今握っているモノが自分のモノかあのオジサンのモノかわからなくなっていく。 
                           
                          「わっ!?」  
                           あわてて立った。なんとか外に出した。湯を汚したら大変だった。リビングの隅に敷いた薄いフトンに横になった。くっと腰と膝を曲げる。身長が170を越えてから体をまっすぐに伸ばして寝られなくなっていた。 
                           
                          ・・・とにかく、経験しちゃえばいいや。野口たちにもデケェ顔してやれっしな・・・ 
                        第2回 
                          金曜の部活の後ー野口から封筒を渡された。  
                          「これ、一年全員のTシャツ代なんだ。月曜に業者に渡してくれないか」  
                           野口は明日から九州の親戚の法事で火曜にならないと、出て来れないのだ。  
                          「ああ、わかったよ」  
                           亮介は気安く引き受けて財布の中に入れた。  
                          「あーあ、疲れたぁ」  
                           二年の品田とエースF(フォワード)の宮川がかったるげに入って来た。品田の腰ぎんちゃく  
                          と陰口されている一年の進藤がうらやましそうに言った。  
                          「ホント、品田先輩の新作いいなぁ」  
                           品田はナイキのバッシュエアージョーダンシリーズに凝っていて、何万どころか何十万のプレミアムのついたものまで持っていると自慢していた。昨日だか発売されたばかりの新作をもう履いているのだ。品田の父親は消費者金融、いわゆるサラ金というやつを経営していて、羽振りがよく、息子には甘いらしくて好きなだけ小使いをくれると言っていた。亮介には面白くない。 
                           
                          「やっぱ、いいぜ!機能性バツグンだしよ!」  
                           自分だってそれくらいいいバッシュを履けば、もっと・・・。  
                          「どっかの誰かみたいにスーパーのサンキュッパ(3980円)じゃなあ」  
                           宮川を始め何人が可笑しそうに笑った。亮介は、自分のことを言われているのがわかっていた。バッシュはおろか、ソックスやハーフパンツTシャツに至るまでスーパーのバーゲン品だった。母親は兄が欲しがれは、ブランドものだって買ってやるのに、亮介にはメーカー品などぜいたくだと一蹴するのだ。 
                           
                          ダサくて貧乏臭いとバカにされるのは今に始まったことではないが、慣れるはずもない。うなだれる亮介の頭の上から低い声が落ちてきた。 
                           
                          「バッシュばっかよくても、使う奴の腕が悪きゃ、スーパーのと変わんねぇよ」  
                           能勢だった。面と向かって言ったわけではないが、品田には聞こえただろう。品田の顔色が変わった。  
                          「能勢、聞こえたよ」  
                           横から奥住が心配そうに注意した。二人は中学からの親友で、バスケフェチとからかわれるほどバスケットに夢中だった。 
                           
                          「かまわねぇよ」  
                           能勢のでかい態度は日頃からかなり品田たちのひんしゅくを買っていたが、強引で自信家の能勢は一向に気にしていなかった。 
                           
                           亮介には能勢の援護射撃もびんぼーの自分を憐れんでいるようで、素直にありがたく思えなかった。  
                         
                           土曜ー体調不良の為と休部届を出してそそくさと帰宅した。高校入学時にどうしてもとねだって買ってもらったアディダスのパーカーとハーフパンツの上下を着て、キャップを被った。一応部屋にいる兄に声を掛けようとした。中からフンフン荒い息が聞こえてくる。どうせまた、AVでも見ながらズリセンこいてんだろとかまわず言った。 
                           
                          「兄キ、俺、今日ちょっと遅くなっからって言っといて」  
                           扉にクッションか枕のようなものが当たる鈍い音がした。  
                          「うるさい!声かけるな!」  
                           隣の襖が開いた。父親が寝起きのさえない格好で出て来た。週休二日の土曜はいつも昼過ぎまで寝ているのだ。 
                           
                          「なんだ、亮、部活じゃなかったのか?」  
                          「ダチと、ちょっと・・・」  
                           くしゃくしゃの髪をかきむしりながら、便所に方へ歩いていく。その背中を呼び止めていた。  
                          「ちょっとさ!小使い、足んなくて・・・」  
                           父親が振り返った。かったるげな上、迷惑そうな顔。甘えたことを後悔した。  
                          「・・・俺もパチンコでスっちゃって、ないんだ。こっちがもらいたいくらいだよ」  
                           高卒の父親は、気弱で職場でもうだつが上がらず家でも母親に頭が上がらない。母親は自分の友達が次々に玉の輿に乗ったのがくやしくて、父親をバカにして兄に期待をかけていた。朝早くから惣菜屋のパートに出て、家でもおもちゃの人形の箱作りの内職をしていた。その賃金のほとんどを兄の教育費につぎ込んでいた。父親に似てちょっと顔がいい程度の亮介は、ゴミ扱いだ。急いで家を出た。 
                         
                         アクアケードはベイフロント近くにあるアミューズメントタウンだ。アウトレットやセコハンショップなどのバザール、大規模なゲームセンターやシネマシティ、プレイランドなどがある。カジュアルな際物(キッチュ)エリアだ。よく待ち合わせに使われる時計台の下に芝崎たちが待っていた。 
                           
                          「ご免」  
                           約束の時間通りだ。遅れたわけではないが、一応頭を下げた。ストリート系でまとめている芝崎は、162,3の小柄でちょろちょろっとした感じで、有名なラップトリオのメンバーに似ているのが自慢だった。 
                           
                          「待たせたから、ジュース、おごり、な?」  
                           勝手に早く来ていたくせに、言ってくれる。一緒にいる女二人がじろじろ見ている。芝崎の腕にしがみついているのが理沙だろう。茶髪のロングヘアーでこの時期にしてすでにまっ茶色に日焼けしていて、真っ青のアイシャドーにどピンクのルージュだった。ヘソ出して超ミニのタイトからりっぱな足が伸びている。素足にサンダルだ。 
                           
                          「あ、こいつが理沙な。で、そっちがはづき」  
                           はづきもやはり似たような格好で、こっちは肩までのセミロングで顔もそれほど焼けていなかった。  
                          ・・・サーファー系じゃ、芝崎(ザキ)と合ってないじゃん・・・  
                           もっとも何系でも関係なかった。二人とも大甘にみて並みぎりぎりだ。奥住の方がよっぽど美人だ。はづき自体にも引かれるところはない。かえってその方が気が楽だ。好かれたいと余計な気を使う必要もない。 
                           
                          「へぇ・・・沢口クンて、けっこうカッコいいじゃん、アイドル系って感じでぇ」  
                           ガムをくちゃくちゃさせながらはづきが寄ってきた。理沙がすねたように口を尖らせた。  
                          「でもぉ、アイドル系の顔ってすぐあきちゃわない?」  
                          「そーだけどぉ、とりあえず今日のところは、つきあってみちゃおかな」  
                           芝崎が口端を釣り上げて笑っている。  
                          ・・・てめぇら、鏡で自分のツラ見てから言えよ・・  
                           芝崎と理沙が腕を組んで歩き出した。シネマシティのあるセカンドモールとは逆の方向だ。あわてて止める。  
                          「映画にしょって・・・」  
                           芝崎が肩をすくめた。  
                          「こいつらが、ヤダって言ってんだから、しゃーねぇだろ?『シーター』にいくからさ」  
                           足がついていかない。だが、はづきが腕を引っぱった。  
                          「いこうよォ」  
                           チケット売り場の前で芝崎が亮介の肩を叩いた。  
                          「なっ、少し貸してくんねぇか?当てにしてたバイト料、明日になんねぇと入ってこなくてさ」  
                           亮介は固まってしまった。せっつかれて財布を出した。  
                          「俺、自分の分もないんだ」  
                           夏目三枚を見せる。  
                          「これっぽっちで女とデートしよって思ってたのかよ、何考えてんだよ」  
                           芝崎が怒って亮介の財布をひったくった。中から封筒を出した。  
                          「何だ。持ってんじゃん」  
                          「あっ、それは、だめだ」  
                           あせって取り戻す。芝崎が口を尖らせた。  
                          「これ、皆のユニフォーム代なんだ、預かってるだけだから」  
                           だが、芝崎が亮介の背中に手を回して顔を寄せた。  
                          「いいじゃん、明日になれば、俺のバイト料が入るんだから、それまでの間、ちょっと借りるだけだよ」  
                           それなら、大丈夫だ。  
                          「俺の分、貸してくれるか?後で、返すから」  
                           芝崎が胸を叩いた。  
                          「まっかせとけよ」  
                           理沙たちの声が催促した。  
                          「早くぅ!」  
                           窓口に向かった。  
                         さすがに『シーター』は広くて、ゲームの種類も豊富だった。亮介は初めて四時間以上もゲームで遊んだ。  
                          「何か食べたい」  
                           スナックで済ませたかったが、女たちが、雑誌に載っていたという多国籍料理の店に行きたがった。タイだかインドだかよくわからない唐辛子料理ばかりで、四人で福沢が一枚消えてしまった。 
                           
                           十四階のガーデンテラスにいく。全面ガラス張りで雨天でも使えるようになっている。9時以降は照明をぐっと暗くして『夜の公園』を演出していた。芝崎と理沙はさっさとベンチに座りに行った。理沙が芝崎の膝の上に座った。よく見ると、あちこちで抱き合ったりキスしたりしているカップルがいた。ここがそういうところだとは知らなかった。 
                           
                           はづきとガラスの窓際に寄った。はづきはガラス越しの夜景に見とれた。  
                          「ふうん、けっこ、きれいじゃん」  
                           亮介は、自分はそれほどでもないが、こいつはけっこう盛り上がっていると思い、肩を囲もうと腕を上げた。元は取らなきゃ・・・急にはづきが亮介の方を向いた。急いで腕を下ろした。 
                           
                          「ね、この後は、当ー然、『ハリハラ』だよねぇ?」  
                           この上まだおごらせようというのか。『ハリハラ』は、アクアケードのサードモールにある有名なクラブだった。ワンドリンクで一人五千円はする。本格的なデートがこんなに金の掛かるものとは思わなかった。 
                           
                          「もー、金ねぇよ。ここでいいじゃん」  
                           はづきが顔を背けてすねた。  
                          「なーんだ、しけてんだぁ。やっぱ、少しくらい顔わるくても、『おぼっちゃまくん』の方がいいなぁ」  
                           ムカついて体が勝手に動いていた。いきなりはづきの腕を掴んで、顔を近づけた。  
                          「なにすんのよ、バカッ!」  
                           目的を達成する前にひっぱだかれた。はづきが目を釣り上げて、がなった。  
                          「このくらいでキスしようなんて、ふざけんなよ、このタコ!!」  
                           亮介は呆然としてしまった。芝崎と理沙が駆け寄ってきた。はづきが背を向けた。  
                          「すっげー、気分悪い、帰る!」  
                           理沙も亮介に『あかんべー』してはづきに付いていく。芝崎が呆気に取られていたが、亮介の胸倉を掴んだ。  
                          「何ダセェことやってんだよ!理沙まで帰っちまったじゃねぇか!バカ!」  
                           芝崎が亮介を突き飛ばして理沙たちを追って行った。  
                           周囲でラッコやっていた連中が嘲笑っているのがわかる。惨めで体が震えた。言い返せなかったことが、吐き出た。 
                           
                          「何だよ!てめぇみたいなブス、こっちからお断わりだぁ!!」  
                           何でこんなくだらないことで涙が出でくるのかわからなかった。誰かに見られないように階段を駆け降りた。  
                         翌日、芝崎のポケベルにメッセージを入れたが、電話が来なかった。仕方なく夕方、芝崎のバイト先のファーストフードへ行った。 
                           
                          「何だよ、仕事中だぜ」  
                           芝崎は、ひどく機嫌が悪かった。だが、そんなことにかまってはいられない。  
                          「昨日、約束したじゃん・・・バイト料入ったんだろ」  
                           芝崎の目がギラッと光った。  
                          「あんだけ見事にぶっこわしといて、俺に払えっての?理沙も怒っちゃって、あの後、キスもさせてくれなかったんだぜ」 
                           
                           冗談じゃなかった。使い込んだ分の三万円。どうしても埋めなくてはならない。  
                          「それとこれとは別だろ?困るんだよ、俺。とにかく明日持ってかないとさ」  
                           下手に出るしかない。懸命に頼み込むと、芝崎が急に困った顔をした。  
                          「それがさ、入ったには入ったんだけどぉ、バイト先の先輩に借りてた分返したら、全然なくなっちゃってさ」  
                        第3回 
                           家に帰ると、父親が一人で夕飯を食っていた。  
                          「勤の偏差値がまた上がったって、二人でファミレスにお祝に行ったよ」   
                           夕飯を食う気もしない。先に風呂に入るという父親の言葉も右から左だ。TVがついていないリビングは、静かだった。隅に座っていると、ふと思いついた。 
                           
                           そっと兄の部屋に入る。専用のTVにビデオデッキ、オーディオ、ウォークマン、ブランドもののウェア、ゲーム機はないが、いやらしいAVだって、母親がストレス解消とかいって買ってやったのだ。欲しいものをいつでも好きなだけ買ってもらえる。 
                           
                          「勤チャンは、将来東大に入って、弁護士になって稼ぐんだから」  
                           母親の口癖だ。吐き気がする。  
                           机の引き出しをそっと引く。案の定、財布があった。兄は母親と出かけるときは、必ず置いていくのだ。五万以上入っている。その中から三万抜いた。とにかく明日支払わなければならない。なんとかそれまでバレないでいてくれれば、後のことは後で考えよう。 
                           
                           何か気配を感じて振り向いた。  
                          「亮」   
                           いつの間にか、兄が立っていた。母親似の丸顔が膨れ上って、すごい形相だった。  
                          「あっ!?」  
                           髪を引っぱられ、扉に叩き付けられた。  
                          「どうしたの!? 勤チャン!?」  
                           物音に母親が血相を変えてやってきた。兄が髪を引っぱりながら、何度も膝蹴りを入れた。  
                          「がっ!?」  
                          「こいつ、僕の小使い盗もうとしたんだ!! バカの上にドロボウなんだよ!!」  
                           怒った母親も一緒になって亮介をひっぱたき始めた。  
                          「なんて子だい!? 時々、あたしの財布から金抜いてたのも、おまえだろっ!?」  
                           全然身に覚えがない。腕で胸や腹を庇いながら否定した。  
                          「そんなの、知らねぇ!! 俺じゃねぇよ!今だって、兄キんとこから借りようと思ったたけで!」  
                           黙って取ったのは悪かったが、どうせ言っても無駄だし、夏休みにバイトして返そうと思ったのだ。それに母親の財布から抜くような真似はしていない。だが、わかってくれなかった。 
                           
                          「この嘘つき!しょっちゅう、二千円、三千円ってなくなるんだよ、正直に言いな!」  
                           ふっと父親の顔が見えた。バツが悪そうに目を逸らした。  
                          「・・・まさか、親父が・・・」  
                           母親が後ろに突っ立ってる父親に気付いて怒鳴った。  
                          「あんたからも叱ってやってよ!! どうしょうもないクズだよ、この子は!」  
                           父親が目を逸らしたまま言った。  
                          「母さんにあやまれ、亮!!」  
                           亮介は、両腕を振り上げて兄と母親を振り払った。父親を突き飛ばして家を飛び出した。  
                         公務員団地の側を通る国道をとぼとぼと歩いていく。一キロくらい先に24時間営業の郊外型のゲーセンがある。中坊の時、よく行っていたところだ。もっとももっぱら人のプレイを覗き込むか、時間潰しにいただけだが。どこにも行く当てもないので、入った。 
                           
                           まだ九時前で、本当はいけないのだが、中学生はおろか塾帰りの小学生までゲームしていた。店のスタッフも見て見ぬ振りだ。しばらくぼうっと見て回っていたが、隅の方で小学生がバスケのシュートゲームをしているのに気付いた。全然入らない。 
                           
                          「ヘッタクソ」  
                           ボールを取り上げた。  
                          「何すんの!?」  
                           生意気にも小学生が怒鳴ってくる。かまわず打った。スパッと入った。  
                          「わっあっ」  
                           小学生が感心した。下のポケットに出で来るボールを取って次々に打つ。ポンポンと決まる。  
                           ゴール近くのシュートは得意だった。それなのにあの紅白戦で外してしまった。どうして、あの時に限って・・・。自分は本当にヘタクソでダメな奴なのか・・・。腑甲斐なさに落ち込んでいく。 
                           
                           いや、そうじゃない。たった一回外しただけで交代させた監督が悪いんだ。兄ばかり可愛がる母親、自分に罪をなすりつけた父親、バカだグズだといじめる兄、ダサイとか貧乏臭いとか嘲笑らう連中、ブスのくせにもったいぶって自分をなじったあの女、皆、あいつらが悪いんだ。 
                           
                           全部打ち終えた。ポコンと音がして、景品のカプセルが出て来た。開けて喜んでいる小学生から離れて、ゲーム機の前に座った。だが、入れるコインもなかった。 
                           
                           これからどうしたらいいのか・・・いずれにしてもあの家に戻るしかないが、ユニフォーム代はどうにもならない。金持ってそうな中坊を脅して、『カツアゲ』でもしようか・・・。自分に出来るだろうか、もし警察に届けられたらどうしよう・・・。肩を落としてため息をついた。 
                           
                          「ここ、座ってもいいか?」  
                           低い男の声がした。顔を向けると、ポロのシャツにアイボリーのパンツ姿の男が機を指していた。対戦型のゲームだから、二人用のベンチシートになっているのだ。三十代半ばくらいか、顔はポッチャリしているのだが、太っているわけではなく、体を鍛えているという感じだ。目つきが鋭くて凄みがあって、どことなく『カタギ』ではない印象だ。あわててどいた。 
                           
                           男が一人プレイを始めた。レバーを動かしたり、ボタンを叩いたりしながら、時々声を出した。  
                          「おっ!? くそっ!?」  
                           あまりうまくないが、けっこう楽しそうにやっている。見てくれからいって、意外だった。  
                           たちまち、ゲームオーバーになってしまった。  
                          「ダーメか・・・」  
                           すうっと立ち上がって離れていく。亮介がまた座ろうとしたとき、爪先に何かが当たった。茶色の二つ折りの財布を拾った。今の男が落としたにちがいない。 
                           
                           拾って追いかけようとした。ずっしりと重い。思わず覗き込んでいた。福沢がギッシリと詰まっていた。十枚ではきかない。ざっと見渡したが、あの男はどこにもいなかった。捜して渡さなくては。・・・でも・・・。 
                           
                           気がつくと、便所に駆けこんでいた。激しい動悸がして、体がふわふわと浮いて、足元がおぼつかない。  
                           いけないことだ!兄キの小使いを失敬するのとは、わけが違う。 
                           だめだ!だめだ!否定する声が頭の中で響く。だが、今手の中にある現金がそれを消してしまう。  
                           皆のユニフォーム代だけだ。その分だけだ・・それがないと、俺、バスケ部にいらんなくなる・・・ヘタッピイかもしれないけど、バスケが好きなんだ。嫌なこと、バスケしている時だけは忘れられるから・・・ 
                           
                           遂に手を入れて三枚抜いた。その時、大きくて冷たい手が現われて、亮介の手を掴んだ。  
                          「はっ!?」  
                           亮介の全身から血の気が引いた。あの男だった。  
                          「おまえ・・・いい度胸してるじゃないか・・俺の財布、盗ろうなんて」  
                           体がぶるぶると震えて来た。  
                          ・・・もう、ダメだ・・・警察に突き出されて、ガッコや家に連絡されて、・・・何もかもおしまいだ・・・  
                           男は、亮介の手を握ったまま、財布と札を取り、ポケットに突っ込んだ。亮介は、顎を掴まれ、腕を後ろ手にねじ上げられた。痛いが声を出せない。 
                           
                          「覚悟できてんだろうな」  
                           ようやく絞りだした。  
                          「すんません・・・許してください。部活の金、使い込んじゃって、どうしても必要で、つい・・・どうか、警察だけには・・・」 
                           
                           目が潤んでくる。許してもらえるなら、土下座してもいい。殴られても仕方がない。  
                           ねじ上げられた腕に力が加わる。ぐっと背中が反った。男は、亮介より少し背が高かった。耳元に唇が寄った。 
                           
                          「そうか、警察がイヤなら、ここで『落とし前』つけてもらおうか・・」  
                           低く澱んだ声が耳の奥に届く。全身が張り詰めた。ボロ雑巾のようになるまで撲られるにちがいない。  
                           そのまま個室に押し込まれた。洋式で少し広めだか、男二人では狭すぎる。  
                          「騒いだりするなよ」  
                           腕が解放された。男の体が寄ってくる。  
                          ・・・撲られるのではないのか・・・だったら、何をされるのだろう・・・まさか・・・?  
                           男の手がそのまさかを現実にした。ベルトを外し、ファスナーを引き降ろして、出して来た。手を引かれる。反射的に肘を引いたが、強引に引っぱられた。 
                           
                           まだ柔らかいモノを握らされた。その上から男が自分の手を重ね、ぐっぐっとしごきはじめた。亮介は異様に高ぶってきた。 
                           
                          ・・・あの・・・時みたい・・・だ・・  
                           振り払おうとしても、思い出されてしまう。逆にますます意識してしまい、ビンとした疼きが背筋を走る。目をつぶって歯を食いしばっても、その感覚に耐えられない。 
                           
                           手の中で硬くて熱い棒に変わっていく。先端から先走りという透明の液が滲んできた。熱い液が亮介の手を濡らしていく。 
                           
                           蓋を閉じた便器を後ろ向きに跨がせられた。  
                          「両手を壁に付けて、尻を突き出せ」  
                          ・・・顔射じゃすまないんだ、『カマ』掘られるんだ・・・  
                           恐ろしいというより、屈辱的というより、もの凄く痛いのではないかということが、先にたっていた。  
                           ハーフパンツとブリーフを引き降ろされた。肌がスベスベッといて、程よく締まった尻が露になる。男が両手でその尻を掴んで強く揉んだ。 
                           
                          「あうっ!?」  
                          「顔(メン)もいいが、尻もいい」  
                           男が亮介のパーカーを押し上げて、背中を晒す。掌でさすり始めた。  
                          「・・・キレイな肌してる・・・」  
                           熱い息とぬるっとした舌が背骨に沿って這い上がっていく。  
                          「あっ、あ・・・あっ・・・!」  
                           何で、こんな声が。自分でもわからない。自然と出て来たのだ。  
                           男が背中を舐めながら指先で窄まった穴に触れた。何かついていて、ぬちゃっと音がして、 
                          入って来た。キュッと締めてしまう。  
                          「力、抜け。でないと、本番つらいぞ」  
                           そう言われても、そうすんなりと抜けるものではない。男がゆっくりとだが、強引に指を動かして、柔らかくしていく。体がすっかり熱くなっていた。覆い被さっていた男が体を起した。両手で亮介の尻を左右に割った。 
                           
                          「ああ、いい色してる・・・充血して・・・おまえのここ、女のあそこみたいだ」  
                           男の言葉に興奮した。もう止められない。亮介のソコが、入って来た男のモノをパクつくように収縮した。扉が叩かれた。男がノックし返す。 
                           
                          「うっうっ!あ・・・あん・・・はっあ・・ん!」  
                           勝手に出て来る喘ぎ声がAVの女優のようで恥ずかしい。男も荒い息をして、腰を動かしている。また叩かれた。 
                           
                          「おい!何してんだ!早く出ろよ!」  
                           苛立った声がした。男が拳を固めて扉を殴りつけた。  
                          「うるさい!まだ出してないんだ!ほかに行け!」  
                           外の男はぶつぶつ文句を垂れながら出て行ったようだ。  
                           亮介は、壁に付いていた手がずり落ちて、水栓のハンドルのところまで頭が落ちてしまった。  
                          「わっ!?」  
                           ぐっと亮介の尻が持ち上がり、男は上から押し込む形になった。その途端、膨らみかけていた亮介のモノがピンと勃ち上がった。男が激しく突いた。 
                           
                          「あっはっあっ!!」  
                           男が喘いで射精したと同時に押し出されるように亮介もイッた。  
                          「やっ・・・あっう!!」   
                         亮介は、便器の蓋に座って男が手を洗うのをぼんやりと眺めていた。ハンカチで拭きながら振り返った。  
                          「・・・部活って、バスケット部か?」  
                           意外なことを聞かれて頭を上げた。戸惑いながらも顎を引く。  
                          「さっき、シュートゲームしてたろ?けっこううまく打ってたから、もしかしてと思って」  
                           ついてくるよう言われて、腰を上げた。  
                          「痛っ!?」  
                           尻の穴に痛みが走った。腰もギシギシ言っている。尻のあちこちをさする亮介に、男が苦笑していた。  
                           男は、ゲーセンの自販機コーナーのベンチに亮介を座らせた。コーヒー缶を二本買って来て、一本よこした。受け取ったものの、開ける気もなくしていると、男がプルトップを上げた。 
                           
                          「飲めよ」  
                           言われた通りに口を付ける。喉は乾いていた。潤ってくると、大きな吐息が出て来た。  
                           男に犯されたみっともないオカマ野郎ーそう呼ばれて、蔑まれるのだーそんな惨めな気持ちになっていた。  
                           目の前に男の手が出て来た。二ツ折りにした福沢が差し出された。意味がわからずに男の方を見た。  
                          「思ったよりよかったから、『ご褒美』だ、とっとけよ」  
                           男は、亮介の手に押し付けて握らせた。男に札を握らされた途端、気が楽になった。  
                          ・・・あの時も・・・  
                           オジサンがくれた二千円でずっと欲しかったバスケットボールが買えた。嬉しくて、オジサンの行為が嫌悪にならなかったのだ。 
                           
                           今もあの時と同じだった。その中には三枚あった。  
                          「あの・・・こんなに・・・」  
                           男の目が優しくすら見える。  
                          ・・・ホント、現金だよな、俺って・・・  
                           男がコーヒーを飲み干した。  
                          「な、まとまった金、欲しくないか?」  
                           缶を傾けていた亮介が、手を止めた。視線を床に落とす。欲しい。確かに。返事はしなかったが、体中が肯定していた。男もそれを承知しているように続けた。 
                           
                          「時給八百円くらいでハンバーガー売ったりドンブリ洗ったりして働いたって、高が知れてるだろう?それより、もっと手っ取り早くドカンと稼いでみないか?」 
                           
                           何が言いたいのだろう?  
                          「・・・ガレージゲームって言ってな、ベイガレージタウンの倉庫で3ON3の試合があるんだ。そこで勝ったチームのメンバーを金持ちのホモおやじたちがオークションして、ベッドの相手をさせるってのあってな」 
                           
                           顔を上げた。きっとその顔は度肝を抜かれているというやつだったはずだ。  
                          「おまえ、けっこういけるだろ?『男同士』」  
                           顔が火照る。それは・・・わかっていたことだ。あのオジサンとのことをズリネタにしてるんだから。さっきだって、レイプ同然なのに、感じていたんだから・・・。 
                           
                           男が面白がってにやっと笑う。  
                          「俺は、そこで警備みたいなことやってるんだが、メンバーの奴ら、その金の五、六倍、トップチームだと七、八倍はもらってるぞ」 
                           
                           五、六倍?七、八倍!?そんなことがあるのだろうかと疑う。男が、小さく肩をすくめた。  
                          「ま、ゲームは月に二回で、負けりゃ一銭にもならんが、それでもおまえの年じゃあ、ゲイバーで売り専するわけにはいかないし、年ごまかしてやっても、上客ばかりとは限らないしな。闇専で立ちんぼしてちまちま稼いでも、俺よりもって恐いお兄ぃさんたちに上前ハネられるし、まして、ランチ(造語:闇の少年売春宿)なんかじゃ、体ボロボロになっちまうぜ」 
                           
                           よくわからないが、要するに、体を売って稼ぐのもけっこう大変だということらしい。目を閉じて、顔を伏せた。 
                           
                          ・・・そんなに稼げるなら・・売春だろうが、なんだろうが、平気だ。きっと・・・やれちゃうよ・・・  
                           亮介は、ビッと顔を上げた。         (完)  
                        ※かなり昔のものを掘り起こしてみました。あまり読む方がいなかったので、少しでも読んでくださる方がいるとうれしいです。 
                          この話は本シリーズがあり、かなり長編です。 
                          続きをアップしようかと考え中です。  
                          ふじま  |