倉庫街NO4の扉の前にあのレスラーもどきはいなかった。中ではすでに八人ばかりのメンバーが練習していた 
                          「ファルコの三人いないな」 
                           いたのはレイダーの三人とパンサーの二人とベンチ(控え)の三人だった。 
                          「あいつらは、火・木・金だったよな」 
                           沢口が奥住に振る。奥住が首を折った。事務所では、口髭(安仁屋という名前だそうだ)が、ビデオを見ていた。昨日のNBAの試合だ。ほとんどTVを見ない和巳の数少ない視聴番組だ。横柄な安仁屋が少し近付いて見えた。 
                          「チュース」 
                           沢口に挨拶に振り向く。和巳を見て、少し顔をしかめた。 
                          「ったく、もう、来るんじゃねぇって言ってやったのによぉ」 
                           壁のキーフックから、ひとつ取って寄越した。 
                          「ロッカーのキーだ。あとはそいつらに聞きな」 
                           ここでよろしくとか世話になるとかいうのもヘンに思えて、頭だけ下げた。 
                           ロッカーの名札がもう『式場』になっていた。中にTシャツとハーフパンツ、ソックス、スポーツタオルが三枚づつ入っていた。 
                          「それ、練習の時使って帰りに事務所で出して行けば、クリーニングしておいてくれるから」 
                           奥住がバッシュだけは自前だけどねと笑った。さっそく着替えて柔軟に入る。 
                           練習メニューを聞いて呆れてしまった。小学生の練習量だ。 
                          「少なすぎる」 
                           ブウ垂れる和巳に沢口が口を尖らせた。 
                          「いいんだよ、そんなにシャカリキになってやんなくても。怪我しねぇようにトレーニングしておけばそれでよ」 
                           腹筋運動をしていた和巳が立ち上がった。沢口に詰め寄った。 
                          「そんなんだから、『一ツ星』に落っこちかけたりするんだ」 
                           沢口の目が本気になった。奥住が和巳をたしなめた。 
                          「式場、いくらなんでも、それは言いすぎだ」 
                           その時、レイダーの一人三つピアスが奥住を押し退けた。 
                          「佐久間…」 
                           奥住が三つピアスの名前を呼んだ。佐久間は目をぎらつかせていた。 
                          「言いたいこと、言ってくれるじゃねぇか…」 
                           佐久間の拳が動いた。それよりも速く和巳は体を滑らせた。あっという間に佐久間の背中からぶつかった。 
                          「あうっ!」 
                           佐久間はマットの上にへばりつけられていた。和巳が佐久間の右腕を後ろにねじり上げた。 
                          「いってぇ!」 
                           佐久間がもがいてもびくともしない。 
                          「やめろ、式場!」 
                           奥住が和巳の腕を押さえた。和巳はもう切れていた。 
                          「俺に喧嘩売ったらどうなるか、思い知らせてやる!」 
                           事務所の扉が開いて、安仁屋が飛び出してきた。 
                          「何してんだ、おまえら!」 
                           和巳が慌てて離れた。おびえて声も出せない状態だったポニーテールがようやく佐久間に駆け寄った。佐久間がその腕にすがって経った。 
                          「くっそう…よくも、やったなっ!」 
                           佐久間は涙を流して喚いた。和巳が指差した。 
                          「こんなことで泣いてんのか、みっともないぜ」 
                           佐久間がブルッと体を震わせた。止めようとするポニーテールの手を振り解いた。和巳も身構える。安仁屋がふたりの間に入ってきた。 
                          「おい、これ以上もめたらオーナーに報告すっぞ」 
                           オーナーの名を出されてはゲームオーバーだ。ふたりとも引き下がった。安仁屋が呆れていた。 
                          「あんまり手間かけさせんな。それでなくてもおまえらクソガキの面倒見るなんかかったりぃんだからよ」 
                           安仁屋が戻っていく。和巳はようやくやりすぎたとわかってきた。だが、自分から謝るのはしゃくだった。そんな和巳の拗ねたような顔を見て、奥住が察してくれた。 
                          「少しやりすぎたよな」 
                           黙って頷く。佐久間の方もバツが悪いらしく、申し訳程度に首を折った。佐久間はまだ涙が止まっていなかつた。ポニーテールが自分も泣きそうな顔で声を掛けていた。 
                          「そんなに泣かないで、お願い」 
                           佐久間は首を振っていた。和巳がようやく『一ツ星』に落ちるかもしれないから泣いているのだと気づいた。 
                          「佐久間」 
                           和巳に呼び止められて佐久間が振り返った。 
                          「アンフェアなプレイするから、評価が落ちるんだ。ファウルとられなくたって、見る人が見ればわかるんだからな」 
                           佐久間をはじめみんなが一様に驚いていた。奥住が意外そうに尋ねた。 
                          「なんでそんなこと、わかるんだ?」 
                           うっかりしていた。スコアブックのことは、誰も知らないのかもしれない。自分だけに教えてくれたのかと優越感が湧いて来た。 
                          「やっ、ただ、なんとなく…そう思ったというか…」 
                           沢口が口を出した。 
                          「けっこうウェイトあっかもしんねぇな」 
                           奥住がふっと息を抜いた。 
                          「そうだな、負けたら必ず評価が下がるわけじゃないのは、試合内容とかも考慮しているからだろうし、プレイ態度も見ているのかもしれない」 
                           佐久間が気難しい顔をした。レイダーの三人は練習に戻り、和巳たちも再開した。 
                         翌日、火曜日、放課後、隣のクラスの女子部員村崎がちらっと顔を見せたが、睨みつけてやったら何も言わずに掛け去っていった。 
                           ひとりでガレージに行く。沢口が行った通り、ファルコの三人が着ていた。室生の動きを追う。ファルコはベンチのひとりを加えて2ON2を内容濃く繰り返していた。ベンチはメンバーが急に欠場したり補充が間に合わなかったりしたときにレンタル料を払って貸してもらうのだ。普段はガレージの清掃や練習相手をしていた。基礎は出来ているが、技術も容姿も劣るのでメンバーになれないらしい。 
                           和巳は準備体操してからひとりで黙々とゴール下のシュート練習していた。 
                           インターバル。 
                           脇に寄ってタオルで汗を拭っていると、レイダーのポニーテールが近付いてきた。 
                          「式場君」 
                           一六五センチくらいか、目元が少し下がっていて唇が小さくてキレイなピンク色をしていた。スレンダーで気弱そうな感じだ。スポーツ飲料を出してきた。事務所の横にある冷蔵庫に用意されていて、自由に飲んでいいのだ。 
                          「僕は本村、昨日はごめんね、洋ちゃん、ちょっと気がたってたから」 
                           洋ちゃんとは佐久間のことらしい。缶を受け取って飲み出す。本村も自分のを開けて一口飲んだ。 
                          「アドバイス、有難う。今まで内容の事とかなんてあんまり考えていなかったから、凄く参考になったよ」 
                           ちょっと首を傾げる仕草とか話しながら腰をくねるところとかが、カマっぽい。奥住も同じように優しい女顔だが、カマっぽいとかナヨナヨしてるとかいう感じはない。自分も掘られてもオカマのつもりはなかった。本村もひとりと気づいた。 
                          「な、ひとりだろ?1ON1、やらないか」 
                           本村が戸惑っていた。和巳が気にした。 
                          「もしかして、他のチームのメンバーと練習しちゃ、いけないのか?」 
                           本村が首を振った。 
                          「いけないって聞いたことはないけど…」 
                           練習中のメンバーを見て、ぽつっと言った。 
                          「そんな奴はいないよ、ここには。他のメンバーが怪我でもすればいいくらい思ってるんだから。まして、自分の手の内を見せるようなこと、しないよ」 
                           確かに相手に自分の呼吸や癖を知られることになるが、それはお互い様だ。和巳が飲み干した。 
                          「せこいな、見切られたら、それを上回るよう練習すればいいじゃんか」 
                           そうしなければテクの向上などありえない。本村も頷いた。 
                          「そうだね、でも、僕で相手になるかしら」 
                          「なる、なる」 
                           さっそく、軽くボールをパスし始めた。ファルコの三人をはじめみんな驚いて、手を止めた。やりにくそうにボールを止めた本村に和巳が声を掛けた。 
                          「気にすんな、早くやろうぜ」 
                           本村が素直に従った。和巳がオフェンスとなり、本村がディフェンスとなった。貼り付いてこようとする本村に、ドリブルしていた和巳がクルッと背を向けた。同時に右手から左手にドリブルをチェンジして走り出した。本村を抜いた和巳は、ゴール下に入る。アンダーハンドからボールを高く上げて、腕を伸ばし切り、リリースした。そのままネットの間から落ちてきた。 
                           今度は位置をチェンジする。オフェンスの本村が体でボールを守りながら左に走り出した。そのコース上にディフェンスの和巳が回りこみ、塞ぐ。本村の足が止まった。右に左に抜こうと動く。それを和巳が遮る。本村がつぶやいた。 
                          「全然、振り切れない」 
                           本村がその場でドリブルしてから、次の瞬間急に左に動いた。だが、和巳はその前に入り込んで、ボールを弾き飛ばした。飛ばしたボールを掠め取ってステップで向きを変えてしまう。本村が追ってきたが、すでにシュートが決まっていた。本村が大きなため息をついた。 
                          「やっぱり、僕じゃ相手にならないよ」 
                           和巳がボールを拾った。 
                          「そんなことないって」 
                           少なくとも沢口や佐久間よりはうまい。その時、ファルコの三人が寄ってきた。三人とも京杏学院の三年だという。リーダー格の室生は、一七〇そこそこで痩せている。目尻が釣りあがっていて、キツネ面だ。道原は沢口と同じくらいの体格で、背が伸びたジャリタレというところだ。安達は小柄だが、大人っぽい感じで女に持てそうなタイプだ。 
                           薄笑いを浮かべていた室生が本村を小突いた。 
                          「何やってんだ、まだ一年だろ、こいつは」 
                           和巳がボールを差し出した。 
                          「じゃ、アンタがやってみるか?」 
                           こんな形で対戦するとは思わなかったが、ちょうどいい。こいつがどれほどのものかがわかる。だが、室生は笑い飛ばした。 
                          「笑わせんな。奥住を抜けるようになったら来い」 
                           自信たっぷりだ。だが、それだけの実力はある。それは認めざるを得ないところだった。 
                           道原がいじわるな眼で本村を見た。本村がおびえた様子で和巳の背中に隠れた。 
                          「式場、だったよな、こいつには気をつけろよ、別のもの、抜かれちゃうよ」 
                           安達がプッと噴き出した。本村が真っ赤になって、急にロッカールームに走っていってしまった。安達がその背中に怒鳴った。 
                          「洋ちゃんにいっちゃうよー、丈ちゃんが浮気してるって!」 
                           和巳が安達の胸倉を掴んだ。安達が引きつる。だが、あまりやりすぎてはと、すぐに離した。室生が和巳に釘を刺した。 
                          「新入りの癖に、入って早々好き勝手やんな」 
                           歩き出した室生に後のふたりがついていく。ロッカールームから出てきた本村は着替えていた。遠くから和巳にお辞儀して帰ってしまった。 
                           仕方なくまたひとりでシュート練習した。どうせなら派手で決定的なシュートを打てるようにしよう。それは、当然あれっきゃない。 
                           短いドリブル、ステップを確認してから、勢いをつける。片手でボールを掴んで力強く踏み切る。ガツッ!なんとか押し込む。だが、安定感に欠けるし、やっと入れてるという感じがダサい。 
                          「ちょっと、あいつ!」 
                           道原が甲高い声を出した。室生たちが一斉に和巳の方を見た。安仁屋も事務所から出てきた。ぽかんと口を開けている。 
                          …せいぜい、驚けよ。 
                           みんなの視線の中、何度もダンクを繰り返していく。室生たちの顔が次第に険しいものになっていった。 
                         
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